駄菓子の歴史をたどる|昭和から令和まで
戦前から続くロングセラーから10円玉時代の名脇役、終売の惜別、そして令和の懐かしブームまで。代表的な駄菓子をたどりながら、駄菓子文化の移り変わりをやさしく読みものとして語ります。
駄菓子には、ふしぎな時間の重なりがあります。今日のコンビニやスーパーで何気なく手に取った一袋が、じつは戦前から作られていたり、あるいは自分の親や祖父母も同じものを食べていたり。値段が安いぶん歴史に残りにくいはずなのに、駄菓子はなぜか世代を越えて生き残ってきました。この記事では、代表的な駄菓子を具体例にたどりながら、昭和から令和までの駄菓子文化の移り変わりをのんびり眺めていきます。年表をびっしり並べるのではなく、あくまで一杯のお茶のおともになるような読みものとして。
戦前から続く、おどろくほど古い駄菓子たち
「駄菓子」と聞くと昭和の駄菓子屋を思い浮かべる方が多いと思いますが、ルーツをたどると、その歴史は思いのほか古いものが含まれています。たとえば素朴な甘さの豆銀糖のように、江戸の終わりごろまでさかのぼるとされる和菓子系の駄菓子もあります。きな粉と水あめを思わせるシンプルな味わいは、砂糖が貴重だった時代の「ささやかな甘味」の名残のようにも感じられます。
大正から昭和の初めにかけては、ビスケットやキャラメルといった「西洋由来のお菓子」が少しずつ庶民に広がっていきました。カルケットのような素朴なビスケットや、独特の食感が長く愛されているボンタンアメ、振ると音が鳴りそうな箱入りのサイコロキャラメルなどは、いまも見かけることがあります。あられの世界では、噛むほどに香ばしい鴬ボールのような関西生まれのロングセラーも、この頃に登場したと伝わります。こうして並べてみると、私たちが「昔ながら」と呼ぶものの一部は、すでに戦前から作られていたことに気づかされます。
戦後の復興と、駄菓子屋という小宇宙
駄菓子文化がもっとも生き生きとしていたのは、やはり戦後から昭和の中ごろにかけてでしょう。物資が乏しかった時代を抜けると、子どもの数も増え、町のあちこちに駄菓子屋が生まれていきました。狭い店先に所狭しと並んだ箱や瓶、薄暗い店の奥にいるおばあちゃん。あの空間そのものが、子どもにとっては小さな宇宙でした。
戦後の混乱期には、酸っぱさが癖になる梅ジャムのように、限られた材料で生まれた個性的な味も登場しました(残念ながらこちらはすでに終売となっており、いまは手に入りません)。一方で、ふわっと軽い麩菓子(鍵屋製菓 特製ふ菓子)のように、素朴さそのままに作り続けられているものもあります。ミルク味の代名詞のようなミルキーや、酸味と昆布のうまみがやみつきになる都こんぶ、揚げの香ばしさが魅力のミレービスケットなども、この時代に生まれ、長く親しまれてきた顔ぶれです。
駄菓子屋の楽しみは、お菓子そのものだけではありませんでした。当たりつきのくじや、少し背伸びして買う珍味系のおつまみ、そして友達と分け合う時間。手のひらに握った小銭を、何にどう使うかを真剣に悩む。あの「選ぶ楽しさ」こそ、駄菓子屋という場所が子どもに与えてくれた、いちばんの贈り物だったのかもしれません。
10円玉を握りしめて――黄金期の名脇役たち
昭和30年代から40年代にかけては、駄菓子のラインナップが一気に華やかになった時期とされます。ガム、チョコ、スナック、キャンディ。子どもの小遣いでも手が届く価格帯に、各メーカーが次々と名作を送り出していきました。
ガムの棚をのぞけば、爽やかなグリーンガムやクールミントガム、当たりが出るとうれしいマルカワフーセンガムやフィリックスガムが並びます。チョコレートの世界では、転がして遊びたくなるマーブルチョコレート、ひと粒ずつ味の違うチロルチョコ、おもちゃのカンヅメでおなじみのチョコボール、そして手のひらサイズの幸せチョコバット。スナックなら、袋を開けた瞬間の香りがたまらないベビースターラーメンや、軽い口どけのカールが、おやつの時間を彩りました。
- ガム派の定番:クールミントガム、マルカワフーセンガム
- チョコ派の定番:チロルチョコ、アポロ、小枝
- スナック・あられ派:ベビースターラーメン、チーズあられ
給食の思い出とともに語られることが多いミルメークのような存在も、駄菓子文化の周辺にあって、世代の記憶に深く刻まれています。こうした名脇役たちは、けっして主役級の派手さはないのに、口にした瞬間に当時の景色まで連れ戻してくれる――それが駄菓子の不思議な力です。
残るもの、去るもの――終売という小さな別れ
長く愛されてきた駄菓子も、すべてが永遠ではありません。原材料の高騰や製造設備の老朽化、需要の変化など、さまざまな理由で姿を消していくものもあります。たとえば、世代を越えて親しまれたチェルシーは終売となり、長く店頭に並んだあの黄色いパッケージを今は見られなくなりました。栄養菓子として歴史に名を残すグリコ(栄養菓子グリコ)のように、惜しまれつつ区切りを迎えたものもあります。
その一方で、おどろくほど長く作り続けられているものも少なくありません。甘じょっぱさが後を引くカンロ飴、サクサクの源氏パイ、ほのかに懐かしいしるこサンドなど、世代を越えて棚に並び続ける顔ぶれを見ると、なんだかほっとします。去るものへの寂しさと、残るものへの安心感。その両方を抱きしめられるのも、駄菓子という文化のあたたかさなのだと思います。
令和の今、ふたたび光が当たる懐かしさ
町の駄菓子屋は数を減らしましたが、駄菓子そのものが消えたわけではありません。むしろ近年は、SNSやレトロブームの後押しもあって、駄菓子に再び光が当たっているように感じます。大人になった元・子どもたちが「これ、食べてた!」と懐かしさで手に取り、その姿を見た今の子どもたちが新鮮なものとして楽しむ。世代をまたいで一つのお菓子が共有される、ちょっと幸せな循環が生まれています。
専門店やまとめ買いコーナーで、ぼんち揚やビーバー、北の味として知られるでん六豆のような名品を見つけると、つい昔の自分に戻ってしまう方も多いのではないでしょうか。ルックチョコレートやエンゼルパイのように、ロングセラーであり続けるものは、味だけでなく「変わらずそこにある安心感」までを届けてくれます。
駄菓子の歴史をたどることは、お菓子の年表をなぞることではなく、その時代を生きた人たちの小さな幸せをたどることなのかもしれません。10円玉を握りしめた手のひらの温度や、当たりが出たときの歓声。そうした記憶が、一袋の駄菓子の中に静かに畳み込まれています。次に駄菓子を手に取るときは、ぜひその背景にある長い時間にも、そっと思いをはせてみてください。きっと、いつもより少しだけ甘く感じられるはずです。